『バガボンド』を筆で描きはじめた頃の話。
練習期間はなし。いきなり本番で試した。主線はすべて面相筆でペン入れならぬ「筆入れ」をする。初回はまったくイメージ通りに描けず、ファンからは作画のレベルが下がったと評された。しかし井上自身は筆でうまく線を引けるようになれば、狙った効果が出せるという確信を得たという。ハードはソフトを規定する。例えばポータブルプレイヤーの出現が音楽の聴き方を変え、やがて楽曲の形式にさえ影響を及ぼしたように、道具の変化は井上の作品に本質的な変化を引き起こす引き金となった。
「やっぱりペンは”コントロール下のもの”なんです。ここしかないという、絶対的に正しい位置に線を引くためのもの。でも筆はもっとルーズで許されるというか、いろいろな意味で幅を許容してくれる。そうするとストーリーもユルいものになるような気がします。もともと僕は”ストーリーなんかなくたっていいじゃないか”というところがありますし(笑)、物語展開の妙みたいなものよりも、”今”を切り取るような物語、プロセスの連続でもいいんじゃないかという意識がより強くなってきています」
筆に持ち替えた当初は、描き込みもさほど稠密(ちゅうみつ)ではなかった。というより、まだ稠密には描けなかった、というべきだろう。そのため不慣れな道具を使いながらも、ペンによる作画より短時間で仕上げることができた。ところが筆という道具が自分のものになってくると、今度はペン以上に描き込みが増え、作業量は増加の一途を辿る。『SLAM DUNK』連載時には決して破ったことのない締め切りを一度ならずも破り、休載やむなし、という憂き目にも遭った。
— 活字中毒R。 (via konishiroku)レベル99まで上げたゲームを売る時の虚しさ 数百時間が小銭に変わる瞬間 まさにサラリーマンが退職する瞬間と同じ #dq9 — Twitter / Kazuyuki Kubo / 久保和之 (via otsune) (via tsupo) (via lunaryue) (via reretlet) (via d-d-d) (via fukumatsu) (via mizushike) (via takojima)
かつてアメリカで「ジャガイモの皮むき器」を商品化したメーカーがあった。
たいへん使い勝手がよく、堅牢な商品であったので、よく売れた。
よく売れたが、はやり廃りがあるでなし、すぐに壊れるというものでもないし、一通りゆきわたったら、あまり売れなくなった。
一計を案じた社員がいて、この皮むき器のカラーリングを「茶色」にした。
そしたら、売り上げが一気に向上した。
ジャガイモの皮といっしょに棄てられてしまったからである。
こういうのはどこかが「間違っている」と私は思う。
自社製品がまだ使えるのにどんどん廃棄され、それで売り上げが伸びて、作り手はうれしいのだろうか。
あまりうれしくないだろうと思う。
著作権論者が言っていることは、この「ジャガイモ皮むき器」のセールスマンに似ている。
本の商品性を強調すれば、いつか「買わないけど、読む」という読者よりも「読まないけれど、買う」という購入者の方を優先するようになる。
本が商品なら、「お前の出した本は全部買ってやる。そのまま読まずに燃やしちゃうけど」という顧客にも「まいどおおきに」と頭を下げなければならないのがことの筋目である。
私は本は商品ではないと思っている。
私にとって用事があるのは私の書いたものを読む人であって、本は購入するが中身は読まないという人に、私の方からは特段の用事はない。
こう考えるのは間違っているのだろうか。
でも、私に同意してくれる「プロの書き手」は驚くほど少ない。
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おかえりんこ
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「ねこ麻雀講座③」/「猫車@引越し準備中」のイラスト [pixiv]わー鳴いた!